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見果てぬ夢 38 ~ライブ・イン・ブカレスト

2010
02
28
ring
2009年8月29日

今日は彼の誕生日。
生きていたら51歳になっていたはず。(たぶん)


音楽チャンネルでブカレストでのコンサートを放映することになっていた。

夕食時に旦那さんがビールを開けてくれて、
「happy birthday,Michael!」といって乾杯。
旦那さんは別にファンではないのだけど、その心遣いがうれしい。


放映時間前になると旦那さんが、「もうすぐはじまるよ~」と声をかけてくれた。
急いでTVの前に座ると、旦那さんが「なんでペンとノートを持ってるの?」って聞いてきた。
まさか分析するために見るとは言えないし。
説明するのが面倒なので省略。
コンサートは1992年のもの。
旦那さんが、「ブカレストってどこ?」
「ルーマニアだよ。東ヨーロッパ。」

コンサートが始まるしょっぱなから失神者が続発。
どんどんと人が倒れていくので旦那さんもびっくり。


旦那さんが横で、「どうして彼はいちいちcrotchを触るんだい?」って聞いてきたので、「クンダリーニエネルギーを昇華してるからじゃない?」って言うと、なんじゃそれ、って顔。


ヨガナンダの言葉を借りると、

「神が人間に性本能を与えられた目的は子孫をつくることと、神聖な夫婦愛を表現することのほかに、それをエネルギーと聖なる自覚に変換するためです。
 性エネルギーは、これを偉大な精神力に昇華することにより、あなたは文章を書いたり、絵を描いたり、そのほかいろいろな創作活動や創造的事業に利用することができます。
 そして、さらにこの創造エネルギーを最高度に制御して霊化すれば、神の偉大な平安と愛と至福を感じることができるようになります。
 聖者たちは、このように性エネルギーを霊化することによって、偉大な能力を獲得し、現世活動の上にも、内的な真理探究のうえにも素晴らしい成果を得ることができるのです」

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彼のパフォーマンスが神がかりと言われたのは、このエネルギーをステージの上で上手に使うことができたからじゃないだろうか。



静かにテレビを見ていた旦那さんが「彼の肌が変わらなかったらこんなに成功していたと思う?」って聞いてきた。

びっくり!
私もまさに同じことを同じ瞬間に考えていたから!


私:「本人はどう思っていたかわからないけれど、人種も性(←説明するのが難しいが既存の男性らしさを超えたと言う意味)もついでに重力も一人で超えちゃったから、いろんな人に受け入れられたんだと思うけど。」

旦那さん:「universalだね」


コンサートも終盤になって、曲が「Heal the world」になる。
客席が映し出されると男性・女性問わず涙を流している。

旦那さんが、「男の人も泣いてるよね。そんなにうれしいのかな?」





「そりゃあ、そうでしょう。
ルーマニアは1989年まで共産国だったんだよ?
チャウシェスクっていうとんでもない大統領の独裁政権下で、物もろくに食べれないし、政治を悪く言えば投獄されるような国だった。いつ食べ物に飢えて死ぬかわからない、うっかり反政府的な発言をして殺されるかもしれないとおびえて暮らしていた。
そして、1989年に革命が起こってようやく自由になれた。
そのたった3年後に自由の象徴のような国・アメリカからスーパースターがやってきて、憧れだったMJに

You'll Find There's No Need
To Cry
In This Place You'll Feel
There's No Hurt Or Sorrow

とか、

Heal The World
Make It A Better Place
For You And For Me
And The Entire Human Race

とか歌われてみなよ?
そりゃー、男だって泣くわ。

ブカレストの人たちは自由が何であるかを過去の経験から知っていて、やっと自分たちの国が恐怖から解放されたことをかみ締めているんじゃないかな」


興行的収入からいえば、このブカレスト公演は赤字だったんじゃないかなと思う(調べてないので確かではないが)
革命後とはいえ、貨幣価値はまだまだ低いはず。
観客動員数が多いとはいえ、費用対効果からいえばあんまり収益はなさそう。
金儲けのためならお金を持っている先進諸国のみで長期間コンサートをやればいいのだが、おそらくそれが目的ではなかったと思う。

ただ、歌とパフォーマンスでルーマニアの人たちにエールを送りたかっただけじゃないかな。



物事は多面的である。
人も多面的である。

一方からしか見ないと、そこにこだわってしまい何も見えてこない。
物事は多方面から見るといろんなものが見えてくる。





放映が終わるともう10時前だった。

久しぶりにビールを飲んだので体が熱くて、バルコニーに出て涼むことにした。
空を見上げると星が綺麗に出ていた。

しんみりしていると、旦那さんがバルコニーに出てきて、私の頭をいい子いい子ってしてくれた。

こういうとき家族がいるっていいなぁと思う。
安心して暮らせるって有難いなぁと思う。



************


<参考>

ルーマニアの歴史

1940年第二次世界大戦が始まると、ソビエト連邦はベッサラビアなど、ルーマニアの一部を占領した。国民は列強の領土割譲に対して無為無策であった国王カロル2世を批判し、退位させた。ルーマニアはドイツにつき枢軸国側として参戦した。この参戦により、ソ連が占領した地域を回復した。しかしドイツ敗退により、再度ソ連に侵攻され、1944年8月の政変で独裁体制を敷いていたイオン・アントネスク元帥ら親ドイツ派を逮捕して連合国側につき、王国内のドイツ軍を壊滅させた後にチェコスロバキアまで戦線を拡大し、対ドイツ戦を続けた。

戦後はベッサラビアとブコヴィナをソ連に割譲させられ、ソ連軍の圧力により共産化した。王制を廃止し、1947年にルーマニア人民共和国が成立した(1965年にルーマニア社会主義共和国に改称)。しかし、ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権の元、次第にソ連とは一線を画す一国共産主義を唱え始め西側との結びつきも強めた。1989年、ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権がルーマニア革命によって打倒され、民主化された。(ウィキペディアより引用)



ルーマニア革命

1989年、東ヨーロッパ各国の共産党政権が相次いで崩壊した東欧革命において唯一、武力により共産党政権の転覆が行われた。
きっかけは大統領のニコラエ・チャウシェスクが命じた民主化デモの武力鎮圧に反対した国防相のワシーリ・ミリャが突然死去(銃撃による死亡)したことから、国軍がチャウシェスクに反旗を翻して民主化勢力を援護し、治安部隊との武力衝突に陥った。革命勢力は1週間で全土を制圧しチャウシェスクを拘束、処刑し非共産党政権を樹立した。(ウィキペディアより引用)

動画はこちら⇒ルーマニア革命 ①


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Tags: マイケルジャクソン ブカレスト Heal the world

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