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見果てぬ夢 41 ~Gone too soonとライアン・ホワイト

2010
03
05
ring
2009年9月9日

この曲はライアン・ホワイト(1971年12月6日 - 1990年4月8日)への追悼曲として作られた。

ライアン・ホワイトは13歳の時、血友病治療のための血液製剤からエイズに感染した。この当時は「エイズ」という病気がほとんど知られていなかったため、彼は生涯を通じて厳しい偏見や差別と戦い続けた。ホワイトは初期のエイズ患者として多くのメディアに取り上げられ、各界の著名人たちとさまざまな交友を得た。マイケル・ジャクソンはエルトン・ジョンと並び、音楽家として生前のホワイトと親しく交わった人のひとりである。


*************


司会者 :偏見には厳しい意見を持っているね
ライアン:ええ とても
司会者 :それについて話してくれるかい?
ライアン:僕の場合は恐怖でした
     僕の体の中には 他の人にない
     ごく小数の人にしかない
     何かがあるんです
     人と違うというだけで
     人間が犬を飼っている
     ということが信じられません
     だって犬は人間とは違うんですから
     犬は飼えるのに
     人種や肌の色や宗教が違うから
     受け入れられないなんて信じられません

                        (下記の動画の冒頭にあるインタビュー)




彗星のように
夕暮れの空で一瞬だけ煌めいて
あっという間に流れ去っていった

七色の虹のように
瞬きする間にすっと消えて
気が付けばそれは跡形もなくなっていた

あんなに光り輝いて
眩しいくらい煌めいていたのに
目の前にあったあの光は
ある夜、消えてしまったんだ・・・


浜辺に作った
砂の城のように
一瞬の流れに消えてしまった

美しく咲き誇る一輪の花
手の届くところにあったはずなのに
花びらは散り、風に吹かれて飛んでいってしまった

人々を楽しませ、感動を与え、喜びをもたらしてくれるもの
それは目の前にあると思った瞬間に
どこかへ消え失せてしまうんだ


月が昇ると同時に
日が沈んでしまうように
あっという間にいなくなってしまった

ライアン・ホワイト(Ryan White, 1971年12月6日 - 1990年4月8日)

インディアナ州コーコモの人物である。HIV/AIDSの感染のために学校から追放され、その後ポスター・チャイルドとなり、エイズに関する広報活動に幅広く携わった。
医師には「他の生徒に危険はない」と言われたが、当時HIV/AIDSはほとんど理解されていない病気であったため、コーコモの多くの教師と両親は復学を認めず、生徒たちは彼に厳しい偏見の目を向け続けた。最終的に、ホワイトの家族は同じインディアナ州のシセロへ移転せざるを得なくなった。シセロの学校の教師や生徒たちはエイズに関する教育を受けていたため、彼は以前よりも良い環境で学業に専念できたという。このことは長い法廷闘争の中で大きく報道された。
この間、ホワイトは多くのメディアに登場し、エイズに関する広報活動の分野で多大な貢献をした。彼は多数のテレビ番組出演やエイズ教育のための講演会を行い、各界の多くの著名人たちと幅広い交流を得た。
ホワイトが死の直前まで書き続けた手記“Ryan White: My Own Story”は、日本語でも『エイズと闘った少年の記録』という翻訳書が出た(1992年ポプラ社刊、加藤耕一訳、ISBN 4-591-03347-3 / 現在は絶版)。<ウィキペディアより引用>

外部サイト:http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=1612

◎上記サイトの写真より:


「子供たちはライアンに『死ぬのは怖い?』と聞いた。
 
 ライアンは『もし死んじゃっても、僕はいい場所へ行くんだってわかってるよ』」



クリントン大統領就任式でのスピーチ

1993年1月20日に行われたクリントン大統領就任式で、ジャクソンは「私の親友ライアン」への追慕とエイズ撲滅を訴えるスピーチを行い、それに続いて「ゴーン・トゥー・スーン」を歌った。<ウィキペディアより引用>




「THE LAST SONG」

エルトン・ジョンはホワイトの追悼曲として「ザ・ラスト・ソング」を作曲した。



ライアンとの友情について

SB:君の仲の良い友人で血液製剤からエイズに感染した、若い男の子はいなかったかい?
MJ:ライアン・ホワイトだね。僕にとってはとても辛いけれど・・・。(質問に)答えようと思う。でも、どうして子供が死ぬのかわからない。本当に。僕は時間と言う窓ではなく、死という運命の窓があるのだと思う。どうして子供が死んだり、子供が病気になったりするのだろう。本当にわからないよ。でも、ライアン・ホワイトが、彼はそのとき12歳だったけれど、ネバーランドの僕の家のダイニングルームで母親に自分の埋葬の方法を話しているのを聞いたんだ。彼はこう言っていた。「ママ、スーツとネクタイを着せないで。スーツとネクタイはイヤなんだ。OshKoshのジーンズとTシャツを着せてね。」僕は「ちょっとバスルームに言ってくるよ」と言ってバスルームに駆け込んで、そこで泣いたよ。こんな小さな子供が母親に自分の埋葬の方法を話しているのを聞いて、本当に悲しかった。まるで彼は自分が死ぬ準備をしているかのようだった。彼が亡くなったとき、彼はOshKoshのジーンズとTシャツと僕があげた時計をしていた。そして僕はこの部屋で横たわっている彼と二人きりになった。僕はひどく落ち込んだ。僕は彼を抱きしめてキスをして、I love you と言った。彼が生きていたときにしていたことと同じことをした。僕は彼の世話をして、彼は僕の家で過ごした。でも、ちょうどそこに彼が横たわっていて・・・僕は彼にこう言った。「ライアン、次のアルバムで君の栄誉を称えるために行動をすると誓うよ。君のために歌を作ろうと思う。そしてその歌を歌うよ。僕は世界に君がいたことを知ってもらいたいんだ。」 そして、僕は「GONE TOO SOON」を作った。彼のために作った曲だよ。
SB:君は彼がその言葉を聴いていたと思うかい?君が愛し、そして喪った人々の魂に触れていると思うかい?君はまだ彼らが自分のそばにいると思うかい?
MJ:そう思っているよ。
                 ( 『Micael Jackson Tapes』より引用&訳)

<AIDSについて

後天性免疫不全症候群(こうてんせいめんえきふぜんしょうこうぐん, Acquired Immuno- Deficiency Syndrome:AIDS )は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす免疫不全症のことである。一般に英語の略称エイズ(AIDS)として知られている。

現在全世界でのヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染者は5千万人に達すると言われている。その拡大のほとんどがアジア、アフリカ地域の開発途上国において見られる。サハラ以南のアフリカには全世界の60%近くのエイズ患者がいるといわれ、増加傾向にある。また一部の開発途上国では上昇していた平均寿命が低下しているという現状がある。近年では中国、インド、インドネシアにおいて急速に感染の拡大が生じて社会問題化している。2006年度、イギリスでの新規HIV感染者数は8925件、イギリス以外の西ヨーロッパでは16316件、アメリカには報告システムのない地域もあるが推計65000件である。<ウィキペディアより引用>

エイズ予防情報ネット:http://api-net.jfap.or.jp/


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Tags: マイケルジャクソン Gone Too Soon

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