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Calling 11 ~『Cry』とファリサイ派の盲人

2010
11
12
ring
11月に入り急にあわただしくなった。
そのせいなのか疲れから今週頭から風邪を引いてしまった。
昨日は祝日ということもあって(カナダはRemebrance Dayでした)一日中ベッドの中で温まりながら『宝瓶宮福音書』を読んでいた。

takara←ジーザスの後ろはモスクのような建物


『宝瓶宮福音書』は四福音書に全く空白となっている、即ち12歳から30歳までの十八年間、Jesusは広く東洋諸国を遍歴していることが書かれている。Jesusはチベットの修道院、エジプト、インド・ペルシャにも行っていたことが記されている。著者のリバイ・ドーリングはこの本の準備に40年を費やして、アカシックレコードの本当の原点から書き出した。(この日本語版の初版は昭和45年と古く、現在では絶版になっている。

Jesusがインドに来たことについては、ヨガナンダの著書『人間の永遠の探求』にも同じような記述がある。
「イエスの教えが、ヨガやヴェダーンダの教義に良く似ているということは、イエスが聖書に記されていない十二歳から三十歳までの間のうちの十五年間をインドで過ごし、そこで学んだ、というインドに残された記録を裏書しているように見えます。」(上記本より引用)

人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集
(1998/02)
パラマハンサ ヨガナンダ

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2年前、私がこの『宝瓶宮福音書』を貰い受けたときには聖書など興味は全くなく、おそらく読まないだろうから、といって返そうとしたのだけれど、「いつか読むときが来る」と言われそのまま開くことなく本棚に収まった。
私がこの本を読む気になったのは、ほかの本はもう読んでしまっていてたまには違う本を読んでみようと思った、それだけのことだった。

最初から読むのではなく開いたところをぱらぱらと読むことにした。聖書など教義の本は「どうか私にメッセージをください」といって開くと、ピン!と来る文章が結構あったりする。

開いたページは、イエスが盲目の人を癒す場面だった。

盲目の人・・・

英語だと・・・・・・・・・blind man

あ、そうか!

私は旦那さんに(旦那さんはクリスチャンなので)新約聖書にイエスが盲目の人を癒す場面があるかどうか聞いてみた。

『ヨハネの福音書 第9章』生まれつきの盲人を癒す より引用

1 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 2 弟子たちがイエスに尋ねて言った、「ラビ、この人が盲目で生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか、それとも彼の両親ですか」。 3 イエスはお答えになった、「この人が罪を犯したからではなく、また両親が罪を犯したからでもない。それは、この人に神の業が現れるためである。 4 わたしたちは、わたしを遣わされた方の業を、まだ日があるうちに行わなければならない。だれも働くことができない夜が来る。 5 わたしは、世にいる限り、世の光である」。 6 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で泥を作り、その泥を彼の両目に塗られた。 7 そして彼に言われた、「シロアム―遣わされたという意味―の池に行って洗いなさい」。そこで、その人は行って洗い、見えるようになって帰ってきた。


当時のユダヤ教では、病気や身体的障害は罪の結果であると考えられていた。
この生まれながらの盲人の癒しにおいては、盲人の信仰が問題になっていない。しかし、盲人がイエスの言葉に従って行動したことに、彼のイエスへの信仰が示されている。

そして思い出したのは、MJの『CRY』という曲の歌詞にある、

Stories buried and untold
Someone is hiding the truth (Hold on)
When will this mystery unfold
And will the sun ever shine
In the blind mans' eyes when he cries


この曲を最初に紹介したときは、最初の文章の、
"Stories buried and untold, Someone is hiding the truth when will this mystery unfold"
と、
"And will the sun ever shine in the blind mans' eyes when he cries"
のsentenceとはいったい何の関係があるのかずっとわからなかった。


ヨハネの福音書9章の続きに「ファリサイ派の人々の罪」というのがある。

イエスは彼らがその人を外に追い出したことを聞かれた。そして、彼を見つけて言われた、「あなたは人の子を信じるか」。 36 その人は答えて言った、「主よ、それは誰ですか。わたしはその方を信じたいのです」。 37 イエスは彼に言われた、「あなたはもうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ」。 38 彼は、「主よ、信じます」と叫んで、イエスを拝した。 39 イエスは言われた、「裁きのために、わたしはこの世に来た。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが盲目になるためである。 40 ファリサイ派の人たちの中で、イエスと一緒に居合わせた人たちがこれを聞いて、イエスに言った、「われわれも盲目だというのか」。 41 イエスは彼らに言われた、「あなたたちが盲目であれば、罪はなかったであろう。しかし今、われわれは見えているとあなたたちが言うところに、あなたたちの罪が残る」。


MJはイエスを信仰していたからヨハネの福音書のこの章はきっと知っていることと思う。
これら聖書からの引用を見て、考えられる意味は2つ。

①神を信じ行動に移すことが神のみ技(奇跡)をもたらす
②自分たちは真理を見ているというファリサイ派の人たちは実は光の道を閉ざされており真理が見えなくなっている


人は自分が見聞きしている世界が絶対と思う傾向にあり疑いもしない。
しかし、最近の傾向では隠されているものに光が当たりいろんなものが表に出てきているため、(最近だと中国漁船衝突の映像流出とか)私たちの思う「絶対の世界」が崩れてきてはいないか。そして、自分が見ていたものは実は真理ではないということを知るだろう。

”All we have to do is to reach for the truth, the truth”

 だから僕らは真理を探求しなくちゃいけないんだ  (『Cry』歌詞より)



☆参考サイト様
見える人、見えない人:http://penguinclub.net/sermons/j/j9-39.html
ファリサイ派の盲目:http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/john_33.htm#top


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<おまけ>

今回取り上げた『宝瓶宮福音書』のなかに、訳者の息子さんが書かれた序文の一部がとても興味深いので載せておきます。以下、引用です。


日本人のなかには、どの政党にも満足できない人、どの宗教にも納得行かない人、どの国にも属さない魂の持ち主がいる。
しかも中庸にして中道を行く人、こういう人たちは、現在は沈黙しているが、宇宙の真実に対しては鋭敏な直観力を持つ人である。
こういう日本人が動き出したときに、日本は計り知れぬエネルギーを発するようになる。
そういう人たちは、この著書を歓迎し理解してくれるであろう。
そして、古今東西の縦糸横糸ーー経緯になることに使命を感じるだろう。(昭和45年1月2日)

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Tags: マイケルジャクソン クライ

Comment

wax 心の目

私の
ボンクラ頭では

何となく理解できるもののうまく表現できそうもありません

また無宗教なので上手い言葉もみつけられませんが

人に対しても物事に対しても

見える部分以外にも真実がある
見る角度によってもイロイロな見方が出来る

要は見えている部分だけが本当の姿ではない

単に目がレンズを通して
見える見えないの話ではなく

心(偏見のない)の目
なのでしょうね

2010/11/13 (Sat) 21:34 | ひまなひま子 #- | URL | 編集 | 返信

wax Re: 心の目

> ひまなひま子 さん

いつもコメントをありがとうございます。

今回の記事、わかりにくかったようですみません。
聖書もいろんな解釈がありますし、精神世界は頭で理解するには限界があります。
『どう感じるか?』は重要で、それを文章化ということはアイデアを創造することに繋がりますので、こうやってコメントを下さることは凄いなぁと思います。

2010/11/14 (Sun) 16:53 | marianong #- | URL | 編集 | 返信

wax ということは

的外れな感じだったのでしょうか (ノ><)ノ

2010/11/14 (Sun) 20:33 | ひまなひま子 #- | URL | 編集 | 返信

wax Re: ということは

Re: ということは
> ひまなひまこさん

いえいえ、今回伝えたかったことはひまこさんが書いてくださったことです。
言葉足らずですみません。

別の解釈というのは、たくさんサイトを見ていろんな解釈があるのだなぁと。
例えば、人間はもともと原罪を背負っているのだから罪を罪と認めて悔い改めよとか、盲目=罪だと信じていたものは人間が作ったものだから神の前では罪ではない、などといろいろありました。

どう思うかは自由なので、私の解釈がすべてではないとお伝えしたかったのです。

エルヴィスやマイケルの思想はキリスト教がベースだと思うので、今後も取り上げていくつもりです。

2010/11/15 (Mon) 09:44 | marianong #- | URL | 編集 | 返信

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