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『Michael Jackson Tapes』より~マイケルと宗教

2012
03
10
ring
原題:『Michael's Relationship with Religion』

SB:マイケル、君がイエス・キリストと現代のセレブリティを比較していた記事を見かけたのだけれど、そのことを覚えているかい?

MJ:いや、知らないな。それはいつの話?

SB:覚えていないんだ。それはきっと君ではない誰かが作ったものかもしれないね。ところで、君はイエス・キリストと繋がっていると思うかい?

MJ:イエス・キリストと?もちろん。僕がイエスの存在を信じているのかと聞きたいんだね?

SB:イエスが救世主だとか神だとかいうことではなくね。

MJ:君はイエスの存在を信じないのかい?

SB:我々ユダヤ教徒は彼が存在したと信じているよ。ユダヤ教徒はイエスが善良で、新人深いユダヤ人で道徳を教える偉大な教師だったと信じているが、彼が神の子だとか救世主だったとは信じていないんだ。私は最近この話についてビリー・グラハムの娘さんと一緒にラリー・キングショウに出演したんだけれどね。

君はイエスに人としての親近感を感じるかい?君はイエス・キリストがKidult(kid+adultの合成語)、大人になっても子供の心をもち続けている人と感じているかい?なぜならイエスは素晴らしい道徳的なメッセージを伝えた非常に穏やかな人物で、物腰は柔らかく誰に対しても無防備な人物として描かれているからだ。イエスの内面は子供のようであったと?

MJ:そう、そのとおりだよ。

SB:だからイエス・キリストは子供に囲まれているのが好きだったと?

MJ:もし僕がイエス・キリストと同じ部屋にいるなら彼が行くところをどこへでもついていくと思う。そばにいてイエスの存在を感じていたいんだ。ガンジーのように、子供のように振舞うだろうな。

SB:ガンジーが笑うのを見たことがあるのかい?

MJ:あるよ。ガンジーは子供のようにくすくすと笑うんだ。・・・とても可愛らしいよ。彼がこの世に現れて世界を導いた。彼は政治的な地位も、国家的な地位ももたなかった。それは本物のパワーだと思う。驚くべきことだよ。ガンジーは非凡な人だった。本当に素晴らしい。彼の映画があるんだけれど、君は見たことがあるかい?

[私(SB)はそれを見たことがあったので、話を続けた]

SB:ところで、君は聖書の中に印象に残る話はあるかい?

MJ:僕は※『山上の垂訓』(イエスが行った最初の重要な説教。マタイ伝、5章7節、および、ルカ伝、6章20-49節)が大好きなんだ。それと弟子たちが天国で誰が一番偉いのかを議論していると、イエスがこういわれた。「「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう”(マタイによる福音書第18章1-3)」この話も大好きなんだ。Return to innocence.純真に戻ろう。

SB:君がエデンの園をここに(この会話はネバーランドで行われていた)、君自身のビジョンでみた完璧な楽園を、大人の狂気な世界からの逃げてきた者たちために作ろうとしているように見えると誰かがいっていたけれど、そうなのかな?

MJ:君がその最初の避難者だよ。

SB:アダムとイヴの話は君にとって特別な意味があるのかい?

MJ:もちろんそうだよ。

SB:君はアダムとイヴに子供のような資質があると思ったのかい?

MJ:そうだよ。そのような資質を実際にこの目で見ることができたらなぁ。その話は何かを象徴しているのかな?それは本当にあったことなのかな?実際に起こったこと?僕は時々混乱するんだ。抜け落ちているところがあるから。僕は時々年上の(エホバの証人の教会の)人に質問していたんだけどだれも答えられなかったんだ。

SB:君は聖書について教会の人たちにたくさん質問をしていたのかい?

MJ:そうだよ。僕は小さなことまで気になってしまう人間だから、「これは何であれは何?」と聞きまわっていたんだ。教会の人たちはよく「ジャクソン君、その話はあとでしよう」といって、的外れのおかしな答えばかりを返してきたんだよ。

SB:アダムとイヴは完璧な生命体で子供のようだった。神は彼らは成人としてお創りになられたが、彼らをとりまく状況は独特だった。なぜなら彼らはまた子供だったからだ。彼らは人として産まれ、また人として創造された。だから彼らは大人であると同時に子供だった。彼らは両方の道徳的美点の融合を表している。だからこの話の要点は内面は子供のような純粋な資質を持ち続けながら、また大人としてわれわれが何を培っていくのかということだ。だからこの話は君にとって何かしら意味を持つのかい?

MJ:だけど、(僕にとって神が)アダムとイブを(禁断の果実を食べるかどうか)試したというのは理解できないんだ。それに君が神様だったら結果はわかっていたはずだ。君が神様だったら、過ちなど犯すはずがない完璧な生命体を創造されたのなら、(過ちを犯すかどうか)わざわざ試したりするだろうか?なぜ、過ちを犯したと判断して怒りをアダムとイブにぶつけたり、蛇に誘惑させ彼らを追い出すのだろう?神がそんなことをするだろうか?僕が子供たちにおなじことをするだろうかと考えてみても、いや、そんなことはしない。神様をジャッジしたり非難したりするためにここにいるのではないけれど。だけど、ときどきアダムとイブの話は僕たちになんらかの教訓を与える象徴のようなものだと思うことがある。それが本当におこったことなのかわからない。僕なら悪いことをしたからといって正しいことをした子供たちから引き離そうとは思わない。それにアダムとイブは二人の子供カインとアベルを生んだけど、彼らは近親相姦だったんだろうか?カインとアベルは二人とも男だったけれど、どうやって子供ができたんだろうか?いろいろと質問をあげたけれど、教会の人たちは僕に答えをくれなかったんだ。

SB:君は大人たちにそんな質問をしてたのかい?

MJ:そうだよ。


参考:
『山上の垂訓』:http://www1.ocn.ne.jp/~bp200702/sannjousuikun.html
『カインが妻を得た』のは聖書の矛盾?
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/bible25.html
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Tags: マイケルジャクソン

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